下蒲刈島 朝鮮通信使の島

とびしま海道

2012年5月28日(月)

漁師料理の宿「かつら亭」で満腹の一夜を過ごした翌日、瀬戸内 島めぐりの最後となる下蒲刈島へ向けて出発。 島めぐり最後を飾るにふさわしい、良く晴れた朝であった。

島の中央部を南北に縦断する道で、島の南岸に出ることもできる。 しかし最終日でもあるので、やはり瀬戸内の海を眺めながら走ろうと、北側の海岸線に沿って走り始める。

安芸灘大橋

正面に下蒲刈島と本州を結ぶ安芸灘大橋が見えてきた
蒲刈大橋

更に進むと、これから渡る蒲刈大橋が見える
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朝鮮通信使の島 下蒲刈島へ

三之瀬瀬戸に架かる蒲刈大橋を渡ると、いよいよ最後の島である下蒲刈島である。 この下蒲刈島は、江戸時代に朝鮮通信使の交通路にあたり、宿泊もしていたそうである。 したがって島内にはこの朝鮮通信使に絡む観光スポットが整備され、大崎下島の御手洗地区に並ぶ、とびしま海道の観光地となっている。

蒲刈大橋

蒲刈大橋を渡って下蒲刈島へ

朝鮮通信使記念公園

何かの話で朝鮮通信使を知っていたので興味を持っていた。 そこで下蒲刈島の最初に、朝鮮通信使記念公園に向かう。

庭石と松が植えられた庭園で、朝鮮通信使が辿った道を表しているようだが、どうもイマイチ理解できなかった。 それより雑草が茂り始め、何となく維持管理が疎かになっている感がしたことは残念であった。

朝鮮通信使記念公園

庭石と松が並ぶ公園
朝鮮通信使記念公

通信使らしき石像も立つが・・

朝鮮通信使の接待所 松濤園

松濤園は三之瀬瀬戸を背景に、きれいに整備された庭園であった。 入館料を払って入ると、御馳走一番館や陶磁器館などがあり、朝鮮通信使や下蒲刈島の歴史を紹介している。

江戸時代の朝鮮通信使は、釜山から対馬、下関を経由し瀬戸内に入り、下蒲刈島に宿泊していたそうだ。 この下蒲刈島は広島藩の接待所として「安芸蒲刈御馳走一番」と言われるほどの盛大な食事を供し、その当時の豪華な食事の復元が展示されていた。 また陶磁器館には、その時に使われた古伊万里や鍋島焼などが展示されていた。

松濤園の前

良く整備された松濤園前の通り
御馳走一番館

接待時の食事が展示される御馳走一番館

松濤園近辺の風景

下蒲刈島は全島公園化事業(ガーデンアイランド構想)が推進されているそうで、松濤園の一画は綺麗に整備されていた。 夏のハイシーズンには多くの観光客が来るのであろうが、私が訪ねた時は月曜だったせいか、非常に静かな街であった。

三之瀬瀬戸

三之瀬瀬戸を挟んで上蒲刈島を望む
蒲刈島番所跡

蒲刈島番所跡に建つ常夜灯
蘭島閣美術

小さな島に建つ立派な美術館 蘭島閣美術館

福島雁木

悲劇の藩主と言われる広島藩の福島正則が、約400年ほど前に築いたという福島雁木。 朝鮮通信使はもちろん、琉球やオランダの使節なども、この福島雁木を踏んで上陸したそうである。

そもそも雁木とは、船の荷役の為に階段状に作られたものだそうである。 私は雁木といえば雪国のひさし状のものだと思っていた。 また関東の漁港は一般的な岸壁と、海辺からスロープ状にコンクリートを張り、そのスロープに漁船が引き上げられている。 関東では階段状の雁木なるものは見た覚えはないが、単に私の無知なだけだろうか?

福島雁木

地盤沈下により昭和に入り3段付け足した福島雁木
港の風景

福島雁木を持つ港の風景
港の常夜灯

今でも夜には灯りをともすのか?

最後の昼飯を海鮮丼で締める

とびしま海道ともお別れの時が近づいてきた。 少し早めだが昼食を食べてようと、ネットで調べておいた「舟飯 がんこ亭」に行く。

店には準備中の札は無いが、戸が閉まっている。 店先で少しウロウロしていたら、海辺の方から女将さんがすっ飛んできて、店を開けてくれた。 瀬戸内島めぐりの最後の食事として、海鮮丼を注文。 勿論 美味い!!の一言。

がんこ亭の海鮮丼

ウニ、アジ、サーモン、イカ、タイなど、具だくさんの海鮮丼

とびしま海道とお別れ

がんこ亭で食事を終えて少し走ると、すぐに安芸灘大橋である。 この橋を渡れば本州側の広島県呉市である。 名残惜しさに後ろ髪を引かれつつ橋を渡り、尾道から始まった「瀬戸内島めぐり」の旅は終了した。

終了と言っても、おまけを求めて呉まで走らないといけない。 これまでの島めぐりと異なり、車の交通量が大幅に増える。 今まで以上に気を引き締めて行かねばならない。

安芸灘大橋

安芸灘大橋を渡れば対岸は本州である


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