寺めぐり

尾道の景観

2012年5月24日(木)

尾道の歴史を調べると、1189年に年貢米の積出港として栄え始め、江戸時代には「北前船」の寄港地として更に栄えたそうである。 平家が壇ノ浦で滅びたのが1185年なので、まさに平安末期からの歴史である。

この繁栄により尾道に多くの豪商が生まれ、その財を惜しみなくお寺の建立などにつぎ込んだことで、現在のように多くの古寺が残されたらしい。 やはり江戸時代以前の日本の中心は西日本であり、現在でも生活の中に歴史を感じるあたりは、関東は遠く及ばない。

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大山寺

お寺の伝えによると、開基は1069年だそうである。 菅原道真が九州・大宰府へ向かう途中、この地に寄った時に、地元民が酒食を供したとのこと。 道真はこのお礼として着物の袖を破り、自分の姿を描いて渡したとの伝えがある。 後にこの袖をご神体として祀ったことにより、「お袖天満宮」とも呼ばれるようになったそうである。

尾道大山寺
大宰府や湯島天神に比べ、こじんまりとした天満宮

持光寺

尾道駅のすぐ近く。 線路を渡って階段を登ると、石造りの変わった門が建っている。 延命門と呼ばれる山門である。 このような石造りの山門は初めて見た。
このお寺では「にぎり仏」と呼ばれる仏像を、粘土を使って自分で作ることが出来るそうである。 しかし観光客は私一人。 いい年して粘土遊びでもないだろうと、参拝だけして後にした。

持光寺山門尾道・持光寺

天寧寺

国道2号から山陽本線のガードをくぐり、階段を登ると,、鐘楼を持つ山門が出迎えてくれる。 天寧寺である。

重要文化財である三重塔が有名であるが、他に五百羅漢など見どころも多い。 また春には「しだれ桜」や「ボタン」などの花のお寺としても有名だそうである。 足利尊氏の3男で、室町幕府の2代将軍であった足利義詮(よしあきら)の寄進により、1367年に開山されたとのこと。

天寧寺
天寧寺本堂 奥に立派な獅子の襖絵が見える
天寧寺五百羅漢
座禅堂の五百羅漢像

鐘楼を上に持つ石造りの山門をくぐると、立派な本堂が待ち構えている。

天寧寺山門天寧寺本堂

艮(うしとら)神社

「艮神社」という名を初めて見たとき、「何と読むのだろう?」と思う人は多いと思う。 とても「うしとら」とは読めない。

創建は806年という、尾道市内で一番古い神社だそうである。 「うしとら」という読みは、十二支でいう「丑寅」の方角。 すなわち鬼門である。 日光の東照宮が、江戸の鬼門を封じているという話のように、この艮神社もどこかの鬼門封じなのであろうか?

それにしても現在は、千光寺へのロープウィが、艮神社の頭上をガンガン走っている。 神様の上を・・・ 何という不遜な! それで良いのか? 罰は当たらないのか? とも思ったが、ロープが切れて落ちたとかの話もないのだから、寛容な神様のようである。

艮神社
境内には落下物防止のためネットが張られている
艮神社
元々は「狛犬」なのだろう。 すっかり風化している

西国寺

建立が天平年間の729年から749年の間というから、かなり古い。 入口の仁王門には、仁王様が履くような大きなわらじや、小さなわらじがたくさんかかっている。 「尾道は坂が多いため足腰の強さが大事で、仁王様の太い脚にあやかろうとわらじを奉納した」と、ネット上で誰かが書いていた。 「なるほど・・・」と思う説得力がある。

西国寺山門の大わらじ
巨大なわらじが奉納されている仁王門

尾道を代表する寺の一つと言われるだけあり、境内に一歩踏み入れると、立派な金堂などが建つ。

西国寺
立派な境内である
西国寺の力石
港の荷揚げ人達が力を競った「力石」

奥へ進むと、足利六代将軍・義教の寄進と言われる、重要文化財の三重塔がある。

西国寺三重塔
最奥部に建つ三重塔

 


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